新時代の家族のあり方とは~近未来予想図

新しい家族のかたち




シェアリングが家族のあり方も変えるのではないか

昨今は核家族化・少子高齢化・晩婚化など「家族」のあり方に大きな変化がみられる。

私が子供のころ(30年前)は3世代家族などざらにあった。私自身は両親と兄妹だけの普通の家族だったが、周りの友達は祖父母も一緒に暮らしている子も多かった気がする。

少子化についても同様。私が子供のころは町の公園にたくさんの子供がいたものだが、今は近所を散歩すれば公園の数はたくさんあるのに誰もいない。これはゲーム機の登場などによる遊び方の変化だけではない。そもそも私の子供時代に既にファミコンはあった。

少子化は確かに進行している。最近、現役高校生と話をする機会があったのだが、私の高校時代はクラスが10組あって1学年400人いたという話をしたらひどく驚かれたが、驚いたのはこちらの方だ。

晩婚化についても言わずもがな。かくいう私も38歳独身だ。

悲観的な話が多いが実は違っていて、昔ながらの伝統・常識から新たな価値観へ変わっているだけで、新時代にベストな家族形態へ生まれ変わっている途中なのではないかと思う。

結婚観の変化とシェアリング

晩婚化に伴い結婚観も変わってきている。

とある20代後半の方とお話しする機会があった。その人も独身だったが、結婚する意味がわからないという。その人の両親は離婚していたがそれも関係が少しはあるのだろう。さらに話を聞いて驚いたのが、シェアハウスのようなところでみんなで楽しく暮らしたいというのだ。実際その人は生家はあるものの一年のほとんどを日本各地で住み込みの仕事をして暮らしている。シェアハウスとは違うが、比較的近い。

この人の例は特殊だともいえるが、案外理想なのかもしれないとも思える。

シェアリングについても、住むところだけでなくご存知のように車や自転車などもそうだし、コワーキングスペースなどの仕事場所のシェアリングも進んでいる。

それらを踏まえると、これからの理想の家族について見えてくる気がするので述べてみたい。

なお、この予想の根拠として新潮新書の橘玲著「言ってはいけない」を採用している。

ただし、かなりのトンデモ理論によるトンデモ妄想予測となっているので、シュールなSF物として楽しんでほしい。

家族のシェアリング

家族のシェアリングというと意味があまりよくわからないし語弊を生みそうだが、今後はシェアハウスに住む一つの共同体が家族を形成するしていくこともあり得るのではないか。

さまざまな人種・年齢層・職業の方が集まるシェアハウス。そこに男女がいれば子供ができることもあるだろう。普通は夫婦に子供が生まれたらシェアハウスを出てアパートを借りてその家族だけで住むことになるだろう。しかし、今後はそのままシェアハウスに住み、生まれた子供は実の両親だけではなく、同居人からも親のように援助され育てられるのだ

ここまではまだ実際にあり得そうだと思える。シェアハウス等に住む同居人全員が協力して一つの家族として機能する。そうすることで子育ての負担も軽くなる。みんながみんなその共同体の幸せを最上に考えて協力してはたらくことが前提であるが、これからの世の中の一つの理想の形となるかもしれない。

さらに進んでいくと

やがてそういうことが続いていけば、複数の男女が住まうシェアハウス等による共同体では父親の分からない子供が生まれる可能性がある。世間的にも倫理的にも問題はあるがあり得ない話でもない。

普通はこうなると痴情のもつれや親権・戸籍で揉めたりして、このシェアハウス等による共同体は瓦解すると思われるが、案外問題なく機能する可能性もある。

その共同体が個人の幸せより共同体の幸せを最上に考えたとしたならば、子供の親が誰であるかは関係ない。その共同体の子供として育てれば良いのだ。無論、法律的・倫理的な問題は残る。しかし、その共同体がみんな家族だと思っていられれば、周りからは奇異な目で見られるだろうが、その共同体は幸せなのだから存続はできる

しかも父親が分からないということには利点もある。何人か父親候補がいるわけだから、父親候補の内誰か一人が何らかの理由でいなくなったとしても、他の父親候補が子供や母親を守ってくれる。一夫一妻よりリスクが低い。

こんなことはあり得ないと思われるだろうか?非道徳的だと思われるだろうか?

以下で、この根拠となった橘玲著「言ってはいけない」を引用して説明する。

ヒトの本性は乱婚である

この「言ってはいけない」という本は、遺伝、見た目、教育に関わる不愉快な現実を科学的証拠をもとに説明している。あまりきつい内容からかサブタイトルは「残酷すぎる真実」となっている。しかし、この本は2016年新書大賞にも選ばれ売れ行きも好調らしい。

その本で紹介されている一つの仮説がこれ「ヒトの本性は乱婚である」というものだ。そうであれば、上記のような複数の男女による共同生活や父親の分からない子供が存在しても全く問題にならない。結婚や夫婦という観念すらないことになる。

法律的・倫理的な問題さえクリアすれば、このような共同体の存在は核家族化・少子高齢化・晩婚化などの問題はすべて解決する。

人間の原始の時代、旧石器時代ならあり得た話かもしれない。というより、ヒトの本性は乱婚であるあるということの証拠の一つとして本では紹介されている。

「ヒトの本性は乱婚である」の根拠

本で指摘されている根拠について、かいつまんで説明する。

旧石器時代は乱婚だったという仮説

一つは、旧石器時代の人類が乱婚であったという仮説だ。生き抜くことが厳しい旧石器時代の環境を考えれば進化論的に合理的であると紹介されている。

現代の人間から考えればそんなはずはないと言われるかもしれないが、「現代」から考えること自体に問題がある。

人類の長い歴史の中で200万年が狩猟採集の旧石器時代である。ヒトの本性はこの長い期間に進化したと考えられる。それに比べて農耕が始まったのが1万年ほど前。歴史としてさかのぼれるのはせいぜい2000年である。

霊長類でヒトに近いチンパンジーやボノボは乱婚である

これも根拠の一つとしてあげられている。人の性を語る時に例に出されるテナガザルは一夫一妻制だが、進化の歴史からするとテナガザルはチンパンジーやボノボより遠いのだ。ゴリラは一夫多妻制だが、これもチンパンジーやボノボより遠い。

ゆえに乱婚であるチンパンジーやボノボに近い人間が一夫一妻制や一夫多妻制であることは進化の過程としてありうるのかということだ。

なぜ女性だけがエクスタシーで叫ぶのか?

もう一つ驚愕の証拠がこれだ。ヒトの本性が一夫一妻であれば、女性が性交時に叫ぶ進化論的な理由がないという。

なぜ叫ぶのかというと、その目的は他の男たちを興奮させて呼び寄せることにある。これにより一度に複数の男と効率的に性交し、多数の精子を競争させることができるというのだ。

にわかには信じがたいが…

まだほかにも根拠が述べられているのだが、非常にきわどい内容なのでこれまでにしておく。上記に述べた根拠についても本の中ではさらに詳細に反論も想定した内容となっているので、ぜひ興味のある方は読んでみてほしい。

人によってはこんな話はとんでもないこと、信用すらされないかもしれない。だが、すべてある程度は科学的根拠を持っているとして本書では紹介されている。

確かにこんなことが公に認められてしまえば、とんでもないことになるのは誰の目にも明白だ。本書ではその危険性も指摘しつつ、それゆに検証が進んでいないことも述べられている。

しかし、この「ヒトの本性は乱婚である」の仮説を前提に考えるとシェアハウス等での新しい家族の発生は、実に合理的になる。

家族制度の意義が薄れた現代、結婚観の変化、少子高齢化などの諸問題も、このヒトの本性は乱婚であるという原点回帰により解決する可能性はある。当然、乗り越えなければならない問題も多いが、良くも悪くも近い将来こういう共同体が本当に出現するのではないかと私は思っている。





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うつ病手前になって退職したり、会社から損害賠償求められたり、逆に精神的苦痛に対する慰謝料を請求したり、アパートの退去で高額の原状回復費用を求められたり、円錐角膜という病気になったり、そんな人生をブログにしてます。 現在は仕事を探している。 長野市で開催されるコンセプトカフェイベント「ルドロウキャッスル」を応援しています。