アドラー心理学は宗教だという誤解がとけないワケ

アドラー心理学は宗教?




アドラー心理学は宗教か?

アドラー心理学に少しでもふれたことのある人なら、宗教に似ているなと思うことがあると思います。実際にアドラー心理学の書籍や講義を受けるとそのような話が出てきます。

下記の文章はアドラーギルドが開催するアドラー心理学基礎講座応用編のテキストからの引用です。

「アドラー心理学は宗教のようだ」という人がいます。アドラーが生きていた時代からそう言われていました。

しかし、宗教ではなくて、思想だと思っています。

(中略)(アドラー心理学は)宗教とは違って、人格のある神を考えているわけではありません。

(中略)アドラー心理学を学ぶことと、なんらかの宗教を信じることの両方があって、はじめて幸福な生活ができると考えていたように思います。

 

このようにアドラー心理学は宗教ではないと断言しています。むしろ、宗教とは別のものですが、宗教と両立することが幸せにつながるというスタンスです。

しかし、この部分はアドラー心理学ではあまり強調していないように思えます。事実、私はアドラー心理学基礎講座応用編を受講しましたが、この部分はさらっとふれるだけで、テキストについては読んでおいてくださいぐらいのスタンスでした。誤解を受けているにもかかわらず、あまり宗教との違いを強調しないとはどういうことなのでしょう

宗教論争にしないため

問題は宗教というものの扱いの難しさにあります。

これは先に述べた講座にて余談として聞いた話です。海外のアドラー心理学の講座では日本と違い、さまざまな宗教を持った人達が参加することになります。なので講義の前に参加者はそれぞれの宗教観でもって他人に意見をしないように、それぞれの神に誓いを立てるそうです。そうしないと、グループ討議などをしたときに宗教論争になってしまう場合があるのです。ただでさえ宗教みたいだと言われるアドラー心理学の講座で、参加者がそれぞれ自分の宗教ならこうだとか、それは教義にない間違っているなどと言い出したら、アドラー心理学の講座としては成り立ちません。

宗教論争が厄介なのは歴史を見れば明らかでしょう。ゆえにアドラー心理学では宗教色をできるだけ慎重に排除する意味で、アドラー心理学と宗教の関係を必要以上に説明しないスタンスを取っていると思われます。

宗教オンチな日本人の誤解

もう一つ考えられる理由は、これは日本特有の理由と思われるが、日本人の宗教オンチのせいであると考えられる。宗教が分からない人に宗教の話をしても意味がないということです。

宗教がない国

日本人で自分の宗教を持っている人は少数派であろう。先祖の墓は〇〇宗の寺にあるからうちは仏教ですという人がいるが、そもそもそういう感覚が宗教オンチなのだが、気づいていない人が多い。ただそれは葬式のやり方が仏教の〇〇宗であるというだけです。葬式や法要以外でもお坊さんの教えを聞いて、日々それを実践しているというのなら仏教徒と言えるかもしれませんが、そういう人は少ないでしょう。

日本は歴史的に見ても現在は宗教とは縁の遠い国になりました。古来からある神道は戦中に国家神道として利用されて敗戦と同時に崩壊しました。仏教にいたっては、ただの葬式仏教となり果ててしまった。

宗教のイメージ

また、「宗教」というとイメージが悪いのが日本です。宗教と聞くと連想して思い出すのがカルト宗教です。日本ではオウム真理教が悪い意味で有名ですが、かの教団の犯した所業をみるに宗教と聞くと怪しんでしまうのも無理もない話です。

しかし問題は、宗教オンチな日本人はそんなオウム真理教のようなカルト宗教から、名も知られていないような小さな宗教団体まで含めて、仏教やキリスト教などと同じ「宗教」として一緒くたに扱ってしまう傾向があります。

オウム真理教が凶悪な事件を起こす前とはいえ、大学の教鞭をとるほどの宗教学者が教主麻原を信者でもないのに尊師と呼び宗教学の研究対象としていたのだから、日本人の宗教オンチも相当なものです。知識人ですらその程度なのです。宗教のイメージが悪くなるのも当然です。

アドラー心理学も怪しい?

そういったことから、日本ではアドラー心理学はあまり受け入れられてきていないわけです。宗教オンチから見れば、アドラー心理学も怪しげな思想として忌み嫌う対象でしかないでしょう。アドラー心理学が宗教ではないことを強調すればするほど、逆に怪しみます。先に述べたとおり、そもそも本物の宗教が分かっていないところに宗教との違いを説明したところで意味がないどころか、余計に誤解を招きかねません。あまり詳しく説明しない方がかえって良いのです。

 

「嫌われる勇気」からアドラー心理学を学ぶ誤解

そしてようやくアドラー心理学の名が世間一般に広く知られるようになったのは、ベストセラー岸見一郎・古賀史健著「嫌われる勇気」の功績でしょう。しかし、ここにもアドラー心理学と宗教を混同してしまう罠が存在します。

確かにとても読みやすく、哲人と青年の問答形式で語られる本書は理解もしやすい。アドラー心理学の入り口としてはうってつけのように感じます。かくいう私もこの「嫌われる勇気」からアドラー心理学を知り興味をもったのでした。

そして、さらに勉強しようとアドラー心理学の基礎講座応用編を受けたのですが、ここでアドラー心理学が実践的で実に合理的な科学なのだということを知りました。それと比べると、書籍「嫌われる勇気」の内容は確かにアドラー心理学なのですが、かなり自己啓発的なイメージが強い。読み手としては、人はこうあるべきだと言われているように思ってしまう。

しかし、これはやむを得ないとも思う。本としてのインパクトを出すためにガツンと強烈なフレーズを盛り込む、すると自然に自己啓発的な内容にならざるを得ない。

そして、アドラー心理学の肝の概念である「共同体感覚」についての説明がまた宗教っぽさを感じさせます。

共同体感覚とは、書籍を引用すれば、「他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること」とあります。これだけだとおよそ科学とは呼べないシロモノです。事実、アドラーがこの共同体感覚を唱えたとき、多くの人が彼のもとを去ったそうです。

さらに共同体感覚を持てるようになるのに必要なものとして挙げられる3つのポイントが「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」です。誰が見ても宗教のイメージを持つでしょう。「嫌われる勇気」ではこの部分が最後の盛り上がりをみせて締めくくられますから余計に宗教っぽいイメージを持ってしまいます。

まとめ

以上の理由から、アドラー心理学は宗教っぽさを免れません。しかし、アドラー心理学は宗教ではありません。

神様・仏様などを掲げてはいませんし、アルフレッド・アドラーを神格視していません。

そして本来は治療的な枠組みの中でのみ扱われる心理学だからです。特に子どもたちへの教育に対して有効な心理学なのです。

このあたりことは、「嫌われる勇気」の続編である「幸せになる勇気」で語られていますし、実際のアドラー心理学の勉強会・研究会などは子どもたちへの教育をテーマにしたものが多いです。

宗教は悪いものなのか

宗教を持たない人や、宗教を理解していない人、宗教を持っていても他宗を認めない人ほど、宗教を悪いのものだと思っている傾向があります。宗教は本来、争いを推奨しませんし、基本的に弱者の味方です。宗教自体への誤解がアドラー心理学の誤解に繋がっている部分はあると思います。

アドラー心理学は宗教を理解する手助けになる

最初に引用したアドラー心理学基礎講座応用編のテキストにあるように、アドラー心理学を学ぶことと宗教を信じることの両方があって、はじめて幸福な生活がおくれるとありますから、アドラー心理学を学ぶことは宗教を理解することでもあります。

私はアドラー心理学に興味を持つ前は仏教に興味があり、さまざまな本を読みました。そしてアドラー心理学にふれてみると、似たような考え方があることに気づきます。この部分もアドラー心理学が宗教だと誤解される一因ではありますが、アドラー心理学を理解するうえで、比較して学ぶことができたので理解が早かったと思います。

アドラー心理学自体は中立

アドラー心理学は宗教に対して中立的な立場だと思います。よって、宗教をより深く理解するためのツールとして使えます。

ここまで書いてきましたが、やはり非常に難しい問題である。大事なことは、アドラー心理学が宗教かどうかという議論をするよりは、アドラー心理学も宗教も学んで理解したうえで、より良い自分の人生を歩むことでしょう。それがどちらの理想にも共通した事項です。

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キタズミ!

うつ病手前になって退職したり、会社から損害賠償求められたり、逆に精神的苦痛に対する慰謝料を請求したり、アパートの退去で高額の原状回復費用を求められたり、円錐角膜という病気になったり、そんな人生をブログにしてます。 現在は仕事を探している。 長野市で開催されるコンセプトカフェイベント「ルドロウキャッスル」を応援しています。