字がヘタで悩む方は多くおりますが…
かくいう私も字がヘタです。ただいま就職活動中なのですが、履歴書を書くのにやはり苦労します。
そんな中で、一つの会社から不採用の通知を頂いたのですが、今回はそれで考えたお話です。
「字」であらわす、おもてなしの心
手書きの宛名
私が応募したのは市内でも一流の宿泊業を営む会社でした。不採用の通知は郵便で届きました。
封筒には結果通知とも何とも書かれず、私への宛名のみがキレイな字で書かれていました。この美しい字を見た瞬間、私は不採用を直感しました。…まあ、電話ではなく郵便で来た段階で不採用の可能性は高いのですが、それは置いておきます。
案の定、中の文書は不採用の通知でした。
その通知自体はパソコンで作成されたものでしたが、こういう文書のお決まりで不採用の理由などは書かれてはいません。しかし、私には封筒に書かれていたキレイな手書きの宛名が不採用の理由だとしか思えなかったのです。
手書きとパソコンの字
なぜ、宛名を手書きにしたのでしょう? やはりこれがサービス業の神髄なのでしょう。少なくとも私は、この宛名の字を見て感動を覚えました。自分の名前がこんなに美しく書かれているのです。採用の可否に関らずうれしくなりました。
こういった仕事をされている方はわかると思いますが、顧客への文書は手書きが喜ばれます。特別感があります。それを私も味わいました…結果は不採用という残念なものでしたが…。
パソコンで印刷された宛名であったら、ああ不採用か、そんなもんかとだけ思っていたことでしょう。
心にくい一流のサービスに触れて、私にはこの仕事はつとまらないだろうと理由までも理解できたのでした。この会社はすべてを手書きで書いているわけではないと思うが、それを実に効果的に用いているようだ。
もちろん字のキレイさだけで採否の判定がくだされたわけではないでしょう。しかし、私の履歴書に書いた字は言葉以上のものを伝えられなかったのでしょう。
キレイな字の至高性と有用性
キレイな字はそれだけで価値がある。つまり至高のものである。芸術に近いものもある。書道とはまさにそうであろう。
そして、有用なものだ。とても役に立つ。一時期、ユーキャンのボールペン字講座がかなり宣伝をしていたが、誰でも慶弔時の記帳などキレイに書きたいものだ。
しかし、パソコンの登場によって字を書くという行為自体が必要なくなってきた。字のヘタな人も、書かずにすむようになった。
それでも手書きの良さは残っている。先に述べた慶弔時の記帳はパソコンではできない。いずれ近い未来には携帯可能な自動筆記マシンなども登場するだろうが、それでも手書きの良さは残る。パソコンで作成されたラブレターより手書きのラブレターの方がうれしいはずだ。
昔、学校の先生に字を見ればその人の気持ちがわかると言われた。親にも言われたな。気持ちを込めてキレイな字を書くだけでその他のことまでよく見えてしまうのだ。先に述べた、私を不採用にした宿泊業者はきっとどのサービスをとっても一流であろう。そう思わせてしまうのだ。事実そうである可能性は高い。
そういう至高性と有用性が手書きにはある。
余談だが、歴史上の偉人も字が上手い人が多い。お宝鑑定団などの番組を見ていると、明治維新の大物の書が高値で紹介されているのを見ると、字が上手いことは政治家になるにも有用なのだろう。あの時代は書ができるのは、一つの教養であったから当然だろうが。
字がヘタな人の末路
手書きの至高性と有用性に異論のある人はいないだろう。そうなると問題は字がヘタな人だ。
字がヘタだと、就職も不利だし、記帳時には恥をかき、書面によるおもてなしの心を伝えることができない。
おもてなしの心を伝えられないのは、実は相当に不利だ。
商売を営む上で、商品の魅力を伝えるうえでも、御礼を述べるうえでも、手書きかそうでないかは重要だ。どちらを顧客として支持したいかは明白だ。私自身、以前に住宅会社に勤めていたことの経験から、絶対に手書きの方が喜ばれるし、気持ちが伝わる。それが一流のサービスの一つでもある。
支持される要因は他にもあるだろうが、一つの判断基準にはなる。
となると、字がヘタだと商売には不利だ。儲からないし、収入が上がらない可能性はある。そもそも、字がヘタで履歴書も満足に書けず就職も困難なのだから困る。自分に自信を無くすことにもなるのだから負のスパイラルだ。劣等感の塊になってしまう可能性もある。
努力と自己責任という残酷
練習すれば上手くなる?
こういうと必ず反論があると思う。字は練習すれば上手くなる。ボールペン字講座だって、書道教室だってある。究極的に字が上手くならなくても努力次第でそのぐらいは克服できると。それでも上手くいかないのは他に原因があるのだと。
しかしそれは残酷で無責任な態度だ。すべて自己責任で済まそうとしている。
事実、私もボールペン字講座を始めたことがある。1ヶ月くらいしか続かなかったので努力不足と言われればそれまでだが、やらないよりはまし程度に上達したが、世間では通用しないだろう。それでもまだ私はましな方だ。
こういうことを言うとさらに反論されそうだが、字がどうしようもなくヘタな人も存在する。ハッキリ言って、どんな字が上手くなる講座を受けても無理だろうとしか思えない字を書く人もいる。誰の周りにも一人はいるはずだ。
常識や建前を除いて、そんな字のヘタな人が上手になる可能性があるだろうか?誰しも心の中では無理と思うはずだ。
たかが、字の上手いヘタで…
字の上手いヘタで、人生が決まるわけないというご意見もあろう。確かにそうなのだが、字のヘタな人が受ける不利益というのは、上記で述べてきたように確実に存在する。そして、それはほぼ、くつがえすことができない。そこは認めるべきではないだろうか。
字がヘタで有利になることがあったら教えてほしい。
そのうえで、字がヘタでも有利にならずとも問題なく生きていくことができることを理解してほしい。
字がヘタならどうするか
練習することによって克服できるのならそれはそれで結構な話だ。
しかし、私もそうだがそんな練習とかしたくない人が大勢だろう。したところで、たかが知れているのだ。
そんな我々は不利益を理解したうえで、楽しく生きていくしかない。
字を書かなくてもさほど問題ない職業も存在する。職人などがそうだ。私は前職で建築の職人ともたくさん交流があったが、字は下手な人が多い。中には、とびぬけてキレイな字を書く人もいるが大半は申し訳ないがヒドイ字を書く人が多い。しかし、技能があれば十分幸せにやっていける職業だ。
問題は私のような事務系の仕事をしながら字がヘタな人間だ。すべてパソコンでよいのならそうしたいところだが、まだまだそうはいかない。答えはでないが、不利を悟ったうえで悲観せずに生きていくしかない。
一流が無理なら二流で。負けの込んだ生き方に見えるが、そもそも人生にはそういう側面があり、避けて通れない。勝者がいれば敗者がいるように、一流もいれば二流もいる。そう考えれば二流が存在しないのなら一流は存在しないのだ。敗者がいるから、勝者が存在できるように。
ヘタでもいい。そのまんまでいいと思える生き方が、二流や敗者には大切なんだなあ。一流ではない私の生き方を探そうと思ったのである。まあ、つまるところ、なんでもいいじゃん。
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