折しも、財務省のセクハラ問題が世間を賑わせている。そこで気になるのが、あまり大きな声では言われないが、被害者にも落ち度があるのではいかという声だ。それと同時に加害者をかばう声も聞こえる。これがいわゆる二次被害につながっている。「セカンドハラスメント」と言われる問題だ。
実際のところどうなのか、財務省の問題と私自身のパワハラ被害経験とも合わせて考えてみたい。
女性が仕掛けたハニートラップ!?
今回の財務省の問題でネット上に遭った反応のひとつだ。まだこの事件は決着がついていないので、憶測でしかないのだが、可能性はたしかにゼロではない。
しかし、この発言は被害者にとってはキツイ言葉だ。これを言った本人としては、あくまで可能性の話であり女性を傷つける意図は恐らくないのだろうが、女性は明らかに傷つくだろう。
ハラスメント行為で一番問題なのは、被害者感情が無視されている点である。仮に真相がまだ分かっていない状況であっても、被害者を傷つける発言は許されるべきではない。
今一番大事なのは、ハラスメント被害の事実を確認し、加害者責任を問うことである。
この手の問題はなぜか被害者に過度の関心が集まりすぎる。真偽はともかく、現状は被害者の気持ちを大切にすべきである。
ハニートラップがもし事実だと判明したのならば、大いに批判をすればよい。それまでは、思いついても言うべきではない。
被害者の過失を探したがる組織
これと似たような経験を私はしている。パワハラが原因でうつ病手前になり退職して、再就職のため企業の面接を受けたときである。
私は正直にパワハラの事実を述べるのだが、企業の関心はもっぱら私にも問題がなかったのかどうかだ。パワハラ被害者であるという配慮はない。
むしろ、パワハラ的人間はどこにでもいるから、そんな精神力では勤められないという、被害者を無能扱いしたうえにパワハラ容認論を展開するのだ。
加害者を守る組織
今回の財務省の対応を見てわかるように、加害者について事実を確認もせず、加害者を守ろうとするのが日本のトップの組織だ。最終的に、疑惑の次官は辞任を申し出たが、事実はうやむやだ。
一部報道では、財務省の中の話として、次官がかわいそうだという擁護論もあったという。
優秀で地位のある人間は、ハラスメント行為は許されるのだろうか。
企業も同じだろう。パワハラ的傾向がある人物でも能力があれば雇い続けたい。それに耐えられる社員しか必要ないという暴論にたどり着いてしまうのだろう。
週刊誌に情報を流して利益を得ていた!?
午前零時のテレビ朝日の緊急記者会見で、同社社員が財務省のセクハラ問題の被害者であることが発表された。
そこで出たある質問で、「女性記者は週刊誌側から謝礼をもらっていたのか」というものがあった。
回答は、もらっていないということだったが、この質問の意図はとても重要だ。
もしも、謝礼をもらっていたのなら許せない、ということになるのだろう。
なぜか世間には、被害者は被害者らしくおとなしくしていろ、という感覚が根強い。また、被害を売り物にするのはけしからん、という謎の道徳観念がある。
仮に被害者がそれで利益を得たのならば、セクハラ問題もなしだと言わんばかりの感覚だ。
しかし、これはセクハラ問題とは全く別の問題であり、今現在問題にすべき点ではない。上記でもふれたとおり、まずは加害の事実確認と、加害者責任が問われるべきなのだ。
もう少し言わせてもらえば、情報には価値があるのは当然で、被害者が週刊誌側から謝礼をもらっていても何ら問題ないと思うのだが、どうだろうか?
被害者にやさしい世界に
こういう問題を見るにつけ、どうしてもっと、被害者や被害の疑いのある方も含めて、配慮した対応ができないのだろうかと思う。
現状は被害者が強く声をあげない限り、セクハラやパワハラは表に出ないし、問題にもならない。
私自身、過去の上司の対応がパワハラだと気づいたのは、うつ病手前になった時ではなく、会社を辞めてからだ。それまではお互いパワハラの認識がなかった。まわりも、仕方ないという目で見ていたのだ。この件は和解しているが、上司からの直接の謝罪はない。
今でこそ、私も自身の経験をブログにすることで、同じような境遇の方の励みになればと思い書いているが、声に出せない一人だったのだ。
そして、もっと加害の事実や、加害者の責任というものを考えてほしいものだ。被害者にあれこれ言う前に。
コメントを残す