辞めるキッカケ(うつ病のキッカケ)
平成28年8月のことだった。辞めるキッカケは仕事のミスからだった。経理業務にて、3万円振り込むところを27万円振り込んでしまったのだ。
そのミスに怒った上司は、罵声を浴びせた挙句、取り戻せなかったら自腹だと言ってきた。
その振込先の相手はクレーム案件の相手だったから戻ってくる可能性はほぼゼロだった。
そしてこの問題は退職後もあとを引く。その話はコチラ
うつ病の進行と退職まで
発症と診断
今まで、残業も厭わず仕事優先でやってきた私はそこから精神が崩れていった。
仕事に集中できなくなり、つまらないミスが多くなった。夜はなかなか寝付けず、真夜中によく目が覚めた。
そんな状態だったため、心療内科へ行った。診断はうつの一歩手前とのことだった。
会社を辞めたいと医師に相談したが、止められた。まともな判断が出来る状態ではないし、常識的に考えれば再就職は困難であるという配慮からだろう。
1回目の辞表と慰留
しかし私は医師の言いつけを無視して社長に辞表を提出した。どうしても無理だったのだ。
そして、話し合いの機会が設けられたが慰留された。その上司のことは任せてほしいと言われた。
それ以降、上司は多少おとなしくなり、あのミスにもあまり触れなくなった。しかし、業務上毎日顔を合わすのは苦痛だった。
慰留後の心の変化
私の仕事に対するモチベーションは戻らなった。逆にあのミスがキッカケで会社を辞める意思がさらに固まっていった。それでも2回目の辞表を出すのに半年以上かかった。その間、うつの手前と言われながら、欠勤なく働いた。自分でも感心する。
薬のおかげでうつもだいぶ楽にはなったからだろう。
辞める一番の理由は、やはりその上司が嫌いだからだ。憎んでいると同時に苦手意識もあり、一緒に仕事をするのはもう無理だった。中小企業のため配置転換などで解決できる問題でもなかった。
2回目の辞表と慰留
2回目の辞表は社内会議の最中に出した。社長も上司もいた。そしてハッキリと上司と合わないので辞めると伝えた。会社が受理しなくても翌月から出勤しませんとも伝えた。
その場では受理されなかったが、構わなかった。こうなると予想して翌月から出勤しないことにしたのだ。
そして翌月末、社長と話す機会が設けられた。社長の主旨はこうだった。まだ私がまともな判断できる状態ではないので有給を使って1ヶ月休んだらどうかというものだった。私はさっさと会社と縁を切りたかったため有給消化しないつもりだったが、当然有給を使た方が有利なのでその条件を受け入れた。結局、有給消化して辞めることになりますよ、と伝えたが、その時はその時だということで話は終わった。
最後の話し合い
そのまた1ヶ月後、社長との話し合いにおいて有給全部消化して辞めますという結論に至りました。
総括
教訓
教訓としては嫌な人間とは付き合うな、とうことですね。我慢しても状況は良くならないし、楯突いてもこちらの方が消耗してしまうので、さっさと逃げるべきだった。まあ、それが簡単にできないからこうなってしまったワケだが。
その上司には今も考えるだけで動悸や胸が締め付けられる感じがする。これを書くのにも心に少々負担がかかっている。関らないようにして、無視して、早く忘れてしまうしかないのだろう。
まとめ
これを書いている時点で発端から10ヶ月しか経過しておらず、まだ心に負担があること。ブログを書くこと自体初めてだったこともあり、かなり稚拙な文章になってしまった。事実を並べるだけになってしまったので、落ち着いたらもう少し詳細なものを書きたいと思う。
例えば、うつになりかけたらどうしたらいいか、慰留されたらどうしたらいいか、辞めたことで迷惑がかかるかなどだ。
とにかく前向きにいこうと思う。
しかし、最初に少しふれたように、この問題は退職後もあとを引くのだ…。
それは下記のブログにて。
現在は円満解決
上記に列記したこのブログの続きをお読みいただければわかりますが、現在は無事円満に解決しております。
このブログは解決していない、悩みの中で書いたものですので、今自分で読むと大変恥ずかしいですね(笑)。
同じ悩みをお持ちの方の参考になれば幸いです。
おまけ
この問題の上司は、私が借りていたアパートの大家さんでもあったため、次のような問題も起きました。
既に解決しましたが、この原状回復費用と敷金の問題は私のブログの中でも一番読まれているので、良かったら合わせてお読みください。
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