アドラー心理学基礎講座応用編 受講して人は変わるか

アドラー心理学基礎講座応用編




簡単なようで難しいアドラー心理学

ベストセラー岸見一郎・古賀史健著「嫌われる勇気」を読んでから、アドラー心理学に興味がわいた私は、アドラー心理学会の関連団体アドラーギルドが開催する「アドラー心理学基礎講座応用編」を受講した。

講座の概要などは講座の前半を受けた後、ブログにしたので、今回は講座の後半も受けて学んだことなど書いてみたいと思う。

前回のブログはコチラ↓

アドラー心理学基礎講座応用編

アドラー心理学基礎講座応用編 受講した感想(前半2日間)

2017年11月8日

講座で学んだこと

説明が難しいアドラー心理学

4日間のアドラー心理学基礎講座応用編を受けてだいぶ理解が深まったが、まだまだ人に説明しようとすると難しく思う。

言葉にして説明するのが難しいのだ。一言で説明できないということもある。

これから下に述べていくことも、初めてアドラー心理学に触れる人には分かりにくいかもしれないが、自分の理解を深めるためにも文章にしてみようと思う。

繰り返し学んだこと

そんな難しい講座ではあったが、繰り返し学んだことがある。

それは、人がどんな考え方で物事に接しているのか、問題への対処の仕方からその人の価値観・目標を推し量るという極めて実践的な手法だ。

実際に学んだ手法で、人のエピソードを分析しようとすると、まだ簡単にはできないが、こんな方法があったのかと驚かされた。

対人関係で悩むことが多い人は是非学んでほしい方法だ。

さらに、他人の価値観・目標を推し量るだけではなく、その目標が協力的か競合的か判断し、それへの対処法も学べる。

本来は、相談者とカウンセラーという枠組みの中でこのエピソード分析が行われるが、この講座を学べば一人でもある程度の結論に達することができると思う。

しかし、完全にアドラー心理学を理解し、対人関係の問題を解決しようとするならば、アドラー心理学の実践がなにより重要になってくる。それも学ぶことができた。

百聞は一見に如かず

百聞は一見に如かずというが、この講座を例えるなら、「百読は一講に如かず」と言える。

百冊のアドラー心理学の本を読むより、一つのアドラー心理学の講座を受けた方がより理解が深まる。

しかし、これでも不十分で、先にも述べたように実践することでさらに理解が深まるものと言えそうだ。

受けてみないと良さが分からないものだ。

実際に私の考えや行動が変わったか

正直まだまだ。頭では理解できているような気がするが、実際に普段の生活で実践しているかというと、できていない。

そう簡単に人のライフスタイルは変わらないようだ。これも講座で学んだことだ。

しかし、ちょっとは態度が変わったかなと思うエピソードが受講後あったので書き残します。

人の話を聞くのは面白い

基本的に私は人と交わるのが苦手で、会話も好きではありません。しかし、受講後は人と話すのは面白いなと感じられたのでした。

それは、企業での面接でのこと(就活中です)。

面接担当者との会話で、この担当者はどんな能力を持った人を求めていて、どんな人材を良しとして、どんな人材を嫌っているか、考えてみることができました。

担当者はハッキリとこんな人材を求めているなどは言いませんでしたが、言葉の端々や態度からなんとなくこうかなと考えてみることができました。

当たり前のことかもしれませんが、私にはこういう感覚が欠けていました。

採用の合否より、自分のちょっとした成長がうれしく思えました。

自分のアピールをしなければならないのに、人の話を聞くことが面白くなってしまったのには困りましたが、合否はともかくよい経験をさせていただきました。

 

アドラー心理学の問題点

受講してよかったと思いますが、一方で問題点も感じました。それについても少し考えてみたいと思います。

学びの場が限られている

今後も継続してアドラー心理学を学ぼうと思えば学びの場が必要になります。

アドラー心理学の講座は他にもありますが、場所や時期が限られており、継続学習には向いていません。

各地方でも学習グループが存在するようですが、これも地域によるので難しい。

「アドラーネット」という学会のHPから入れるサイトでは各地の取組を紹介しているそうですが、閲覧には最初だけ5000円かかるそうです。たかだか5000円といえばそれまでですが、間口が広いとは言えない状況ですね。

学習を続ける上で、仲間を作ることは非常に重要と教えられましたが、現状自分に相当のヤル気と手間を惜しまない気持ちがないと難しいようです。

気軽に手軽にというわけにはいかないようです。

しかし、本来アドラー心理学は間口を広くし、気軽に手軽に触れてもらいたいものではないのだろうか、と私は思います。

宗教っぽい

前のブログでも少し書きましたが、宗教っぽいですね。テキストでは宗教ではなく、思想だという記述がありました。

しかし、初めて触れる人から見れば宗教っぽい感じは否めません。

宗教でもなんでもいいんじゃないか

ただ、よく考えてみたら、アドラー心理学が宗教だろうが、科学だろうが、思想・哲学だろうがどうでもいいことに思えました。

なぜ宗教っぽさにこだわってしまっていたか考えてみると、「宗教」という言葉に感じるうさん臭さのせいだと気づきました。

日本では宗教というと、インチキ宗教や、葬式仏教、はてはオウムのような危険集団だというイメージが強すぎます。講座の中でも話がありましたが、外国人は自分の宗教を持っている方が多いです。日本特有の状況が宗教っぽさへの抵抗・拒否反応に繋がっており、アドラー心理学の普及にも障害の一つとなっているように思えます。

このあたりの誤解は長い年月をかけて地道な学習で解いていくしかないでしょう。

アドラー心理学会認定資格

学会認定資格として、カウンセラー、家族コンサルタント、心理療法士があるそうです。

しかし、どれも公的資格ではなく、就職に有利になるわけではないという説明がありました。

なかには就職に有利な資格を取ろうとか、カウンセラーになりたいとう方もいらっしゃるのでしょう。

しかし、収入の保証はしないよ、ということでしょう。

これらの資格を収入に結びつけるには、また違う才能が必要になるでしょうし、アドラー心理学を商売道具にするのは教義的にあまり認められないということなのでしょう。

ここにも、アドラー心理学が普及しない一因が隠れていそうです。

 

おわりに

アドラー心理学は物事を考えるための良い道具になり得ると思います。便利なものとして、多くの人に学んでもらいたいと思いますが、心地よい話ばかりでもないので、なかなか難しいものです。

アドラー心理学の肝である「共同体感覚」には「責任」がついてまわります。自分の行動の結果に対しては自分がすべての責任を負うという厳しい考え方があります。これを素直に実行すれば、損をすることも多いでしょう。

しかし、これらを理解し受け入れられたとき、また世界は違った見え方をするのだと思います。

ただ、アドラー心理学が絶対の真理だという保証もないので、アドラー心理学以外のことも勉強していかなければならないというのが私の感想です。

 




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ABOUTこの記事をかいた人

うつ病手前になって退職したり、会社から損害賠償求められたり、逆に精神的苦痛に対する慰謝料を請求したり、アパートの退去で高額の原状回復費用を求められたり、円錐角膜という病気になったり、そんな人生をブログにしてます。 現在は仕事を探している。 長野市で開催されるコンセプトカフェイベント「ルドロウキャッスル」を応援しています。