自分の「目標」に過ちがないか? 自分も周りも幸せになりますか?

目標




理想:協力的な目標が必要

目標を立て、さまざまなチャレンジをしようとしても、必ずしも達成できるわけではありません。とりわけ、困難な状況に陥り悩んでいる状態では、目標の達成ができないどころか、誤った目標を立てていることもあるのではないでしょうか

私自身、うつ病手前状態になり退職して次の人生を考えた時、どんな目標を立てようか悩んだり、せっかく目標を立てても行動できなかったり、行動している中で目標自体に疑問を感じることが多くありました。

そんな中で、「目標」というものについて考えてみました。

そしてたどり着いた答えが図の通りです。


目標

利他的で洗脳的な目標だった自分

さまざまな情報や書籍にふれ、考え抜いた結果、私は上図における「利他的」で「洗脳的」な目標を立てていたことに気づきました。だからうまくいかなかったのです。

「利他的」自体は決して悪いことではありませんが、問題は「洗脳的」です。これは言い換えれば「滅私奉公」的な目標です。例えば戦中の日本のような国家のために自分を捧げる目標です。あるいは、戦国時代に主君のために命を捧げるような目標です。

自分のための目標ではなく、しかも洗脳的、誰かに利用されて、誰かの目標のために頑張ろうとしていたのです

私の場合は、世のため、人のためになることを目標にしようと思ったのです。一見いいことですが、しかしそれは洗脳でした。世の中の常識や道徳がそうさせていたのです。無職の状態はいけない、早く社会貢献しなさいという、誰が言ったのかも分からないけれど、誰の心にも少しはある感情ではないでしょうか。このような感情や道徳・常識による洗脳は、学校教育や今日までの縦型社会によってなされたものです。

だから、私は目標を考え直す必要があります。それとは正反対の「利己的」で「協力的」な目標をです。

理想の目標とは

利己的で協力的な目標

理想は「利己的」で「協力的」な目標でしょう。自分の為にもなって、他人に協力的な目標でもあります。いわゆる「win-winな関係」になることが目標になります。自分も含め、自分が所属する共同体のすべての人が幸せになるような目標をたてられたら最高です。

利己的でなければならない

注意したいのは「利己的」であること。自分の幸せも忘れてはいけません。私はここで失敗していました。利己的な感覚が抜けていました。

それは例えれば、共同体の和と親睦を深めるために、自分は行きたくもない飲み会に行こうとするような目標です。周りの人は自分が懇親のための飲み会に出席してくれたことを喜んでくれるでしょう。実際に親睦も深まるかもしれません。しかし、自分はまったく楽しくもなく、お酒も好きじゃない、もっと他に有効に時間を使いたいと思っていれば、飲み会に出席することは「利他的」ではあっても「利己的」ではありません。

このような目標は失敗します。懇親のための飲み会に出席することは「協力的」であるように見えますが、自分に利益がない限り「利己的」ではないので、「協力的」な目標として成立しないのです。仮に飲み会に出席(協力)したとしても、誘ってくれた人のために出席するので「利他的」であると言えます。さらに言えば、出席が半強制的なものであれば「洗脳的」である可能性があります。

利己的で競合的な目標

「競合的」とは互いにせりあうことですから、自分のための目標であっても、他人からすれば迷惑と感じる目標です。

先ほどの飲み会の例で言えば、飲み会の主催者の考え方になります。

共同体の親睦を深めるために飲み会を企画したとしても、他の人が反対するようであれば、それは「競合的」な目標である可能性があります。

「協力的」と「競合的」の考え方

アドラー心理学

「協力的」と「競合的」については、アドラー心理学の考え方です。ちょっとアドラー心理学の概念とはずれた説明を上記ではしていますが、おおむね意味は理解していただけると思います。

アドラー心理学では「協力的目標」は自分も相手も満足する目標。「競合的目標」は相手が不満である場合で、相手を裁こうとしているような目標のことを指します。

「利己的」

私はアドラー心理学の講座を受けたことがありますから、競合的な目標を排除して、協力的な目標を立てようとしましたが、うまくいきませんでした。

「協力的」とは自分の為でもあることを見過ごしていたからでした「利己的」)。

先にも述べた洗脳的な道徳や常識によって、協力的か競合的かの判断を、相手が満足するかしないかだけで考えて自分自身の満足を排除してしまっていたのです。すなわち、相手が満足するだけの「疑似協力的」な目標を考えていたのでした。それは結果的にただ「利他的」なだけの目標になってしまったのでした。

「利他的」はいいことのように聞こえますが、実はそう簡単なことではありません。良くも悪くもなります。このことは後で詳しく述べます。

また、「利己的」というと自分勝手な悪いイメージがありますが、そうではなくて自分自身も幸せになる権利は当然あるのです。こんな簡単なことにも気づけなくなるほど、洗脳は怖いものなのだと思い知らされました。

利他的で宗教的な目標

先に「利他的」は良くも悪くもなると書きましたが、宗教的であれば良い方です。

しかし、これはよほどの聖人でないかぎり達成困難な目標です。

なぜ困難なのか、その前に宗教について考えます。

宗教のイメージ

「宗教的」というと悪いイメージを持つ方がいます。かの凶悪犯罪を犯したオウム真理教のようなカルト教団のイメージが強いからでしょう。しかし、そういうインチキ宗教は宗教的というよりは「洗脳的」でしょう。

本来、宗教とは悪いものではありません。古来から日本人も宗教を持っていました。神道です。やがて仏教の影響も受けますが、明治以降は天皇制に伴い神道が復活し、戦争によってゆがめられ国家神道となってしまいました。古来からの神道は宗教的と呼べますが、国家神道は完全に洗脳です。現在、国家神道は否定されていますから余計に悪いイメージを持ってしまうのでしょう。

世界では自分の宗教を持つことは普通のことです。欧米ではキリスト教がありますし、東南アジア・インド以西はイスラム教、アジアは仏教、儒教、道教などさまざまありますが、とりわけ日本は歴史的背景から宗教音痴な国になってしまったようです。

世界的に見れば、自分の宗教をもち、心の拠り所として日々の生活をより良いものにしていく姿勢が当然なのです。

このあたりのことが理解できないと、案外簡単にカルト宗教にだまされてしまう可能性もありますから注意です。詳しく書くには私の知識も足りないし、本題からそれるのでここで終わりにします。

「宗教的」とは到達しがたい究極的な理想

多くの宗教は自分の利益と同等以上に他者の利益を優先する傾向があります。

仏教では「喜捨」という言葉があります。喜んで捨てることです。自分の財を自分より貧乏な人に喜んで与えることです。キリスト教においても「汝の敵を愛せよ」という言葉あるように、敵ですら分け与える対象なのです。自分に利益はありませんが、精神的な喜びはあります。ある種、「協力的」でもあります。

だから、図では「利他的」から「協力的」へ破線ですが繋がっているのです。

目標

しかし、これはあきらかに困難です。喜捨はあきらかに自分が損をします。また、敵を愛するなんてことは普通できません。

だからこそ究極的な理想なのです。

宗教とは、自分自身は神様や仏様にはなれないけれども、なろうと思って日々精進することなのです。

よって現実的ではありません。ちょっとぐらいの損や、ささいなケンカをした相手と仲直りするぐらいの愛をもつことはできるでしょうが、宗教的理想はそれにとどまりません。ブッダは富も地位も妻子もすべてを捨て出家しました。キリストは敵対勢力によって磔にされたのです

だから、利他的な気持ちをもちつつも、自分も幸せになる協力的な目標が一番現実的な理想なのです。

中途半端に利他的にふるまおうとすると、ただの偽善になります。相手に裏があると見透かされてしまいます。

 

利他的で洗脳的な目標

再びこの話に戻ります。もうお分かりだと思いますが、最悪な目標です。しかも、もっと最悪なことは「洗脳的」であると完全にだまされて自分が洗脳されていることに気が付かないでいることです。それどころか、自分は協力的な目標で頑張っていると錯覚している場合すらあります。

問題は、案外いろんなところでこのような利他的で洗脳的な目標が掲げられていることです。例えば親子関係、教師と生徒の関係、会社組織の上下関係、国家と国民の関係などです。あきらかな力関係がはたらいているところでは注意が必要です。常に自分が思い込みや洗脳で行動していないか疑う必要があります。

利他的は良いことですが、このように危険な面もあります。

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ABOUTこの記事をかいた人

うつ病手前になって退職したり、会社から損害賠償求められたり、逆に精神的苦痛に対する慰謝料を請求したり、アパートの退去で高額の原状回復費用を求められたり、円錐角膜という病気になったり、そんな人生をブログにしてます。 現在は仕事を探している。 長野市で開催されるコンセプトカフェイベント「ルドロウキャッスル」を応援しています。