本当にやりたいことは何なのか。それ本当にやりたいこと?
平成29年7月1日から無職になりました。次に何をやろうか決まりません。なぜなんでしょうか。
ネットにあふれる情報
今や、ネット上でも求職活動はできますね。ハローワークの情報もある程度ネットで見ることができます。
転職系のサイトもたくさんあります。リクルートのリクナビとか有名ですね。
「会社」にこだわらないのであれば、独立・フリーランスという選択肢もあります。
このあたりも情報があふれています。ライターやデザイナー、プログラマー等ある程度技術は必要かもしれません。
しかし、技術が無くてもできるものもあります。クラウドソーシングのサイトを見れば未経験でも可能なものも多くあります。
但し、単価は安かったり、慣れないうちはコンビニでアルバイトするより稼げないかもしれません。
ですが、たくさんの選択肢がありますね。ただそれだけに迷います。
仕事・職業観のいろいろ
世間一般的には…
大企業に就職した方がいいと言われます。給与水準は高いし、福利厚生も整っている。倒産する心配も中小企業に比べれば低いかもしれません。
なによりブランド力がありますので、人前でも堂々言えますし、安心感がありますね。理想論ですが。
堀江貴文氏ならば
「今は遊びが仕事になる時代、好きなことに徹底的に没頭しろ!」と言うでしょうね。大企業だとか、ブランドだとかにはこだわりません。とにかく、没頭できる仕事をしている人が少ないことを嘆いておられるようです。これもなかなかの理想論ですね。ただ、堀江氏のすごいところは、迷っている人の背中を押してくれるところです。なぜ人がそう動けないのかも真剣に考えて著書にしています。
仏教はどう考えるでしょうか
私は仏教の考え方が大好きです。仏教は職業の貴賤はないといいます。というより、なんでもいいという考えです。ニートや路上生活者でもいいといいます。そもそもお釈迦様自体、王子という身分も、妻も、子も捨てて出家した身です。世間にこだわることに意味を求めません。これはまた違う意味で勇気のいることですね。
私の考え
とまあ、さまざまな情報、考え方があるから私は迷うわけです。そのうえで私の理想は、「何もしない」ことですかね。何もしないでボーっとしていることが一番の幸せと感じます。しかし、そうもいかないから迷うわけです。
アドラー心理学では?
「嫌われる勇気」もまだ全然読んでないので、アドラー心理学が何かよくわかっていないですが、「すべての悩みは対人関係の悩みである」というフレーズから考えてみましょう。何をしようが迷い悩む私がここにいます。ここに対人関係の悩みは存在するのでしょうか。あ、存在しますね。私はそもそも上司のパワハラで退職してる人間なので、人と関わりたくないということがあります。そんなこと言っていれば何もできませんが、実際それは大きな要因ですね。アドラー心理学は自分のための心理学らしいので、答えは一人一人違うのかもしれません。
やりたいことを見つける
堀江貴文氏によれば、人は誰でも没頭する力を持っているといいます。幼少期の遊びがそうだといいます。子供は遊びの天才ですからね。その感覚で、興味をひくものを片っ端から試すという方法があります。
仏教的に考えると、やりたいことを見つける必要はない、となってしまいます。あるがままに仏様に全てお任せする他力本願こそが仏教ですから。しかし、そんなことばっか言っていると周りの真面目な人たちに攻撃されます。攻撃されても気にしない強い人ならよいですが、普通の人は無理です。ほどほどに、やりたいことを探す必要があります。仏様も、忍辱という言葉はあるけれど無理をしろとまでは言いません。
私の場合…
しかし、会社員時代、趣味で楽しんでいたことが、退職後はあまりヤル気がおきません。趣味ではなくて、ただストレス発散のためだけにやっていたのかもしれません。ケータイゲームもあまりやらなくなりました。カラオケも行く頻度が減りました。とても、堀江氏のいう好きなことに没頭できる状態ではなくなってしまった。
まあ、たまには休息も必要かもしれません。私の今やりたいことは休むことかな。
休んだ後に、何をしようかもう一度考えましょう。
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